ここ数ヶ月、私は「効率化」という言葉に取り憑かれていました。
結論から言うと、効率化そのものが目的になってしまい、本当にやるべきことが何一つ進んでいなかったんです。気づいたのは、月に1万5,000円払っていたAIツールのプランを見直した瞬間でした。
「あれ、このツールで何を達成したんだっけ」
その問いに答えられなかった自分に、正直ゾッとしました。
きっかけは、自動化スクリプトの「ネタ切れ」
私は普段からPythonでいろいろなことを自動化しています。毎日決まった時間にスクリプトが動いて、情報を集めたり、ルーティン作業をこなしたりしてくれる。
最初は感動しました。「自分が寝ている間にパソコンが働いてくれている」という状態は、なんというか、未来に生きている感覚があったんです。
でも、ある日ふと気づきました。
自動化するもののネタが切れたんです。
普通なら「やることがなくなった。よかった」と思うところでしょう。でも私は違いました。「何か自動化できるものはないか」と探し始めてしまった。本末転倒ですよね。
自動化は本来、「自分の時間を空けるための手段」のはずでした。なのに、空いた時間で「次に自動化するもの」を探している。永遠に終わらない効率化のループに入り込んでいたわけです。
AIツールに月1万5,000円を払っていた理由
同じ頃、私はAIの開発支援ツールに月1万5,000円のプランで課金していました。
このツール自体はすごく優秀で、コードを書くスピードが格段に上がります。使い始めた当初は「これで個人開発が加速する」と興奮したものです。
ところが、数週間使ってみて異変に気づきました。
「トークン(AIの利用量)を使い切らないともったいない」
こんなことを考えるようになっていたんです。
定額制のサービスって、使えば使うほどお得感がありますよね。ジムの月額会員と同じ心理です。「元を取らなきゃ」という気持ちが、いつの間にか行動の原動力になってしまう。
結果として、特に必要のないコードの改善を繰り返したり、既に動いているスクリプトの保守に何時間も費やしたりしていました。動いているものを触る必要なんてないのに。
TODOリストを「イシュー」で見直したら、半分が無駄だった
ちょうどその頃、「イシューからはじめよ」という本を読み返しました。
この本の核心は、「解くべき問題を見極めることが、解き方よりもはるかに重要」というメッセージです。著者はこれを「犬の道」という表現で説明しています。つまり、一生懸命やっているけど成果につながらない努力のことです。
試しに、自分のTODOリストを「これをやらなかったら何が起きないか」という問いで見直してみました。
愕然としました。
半分以上が「やらなくても何も起きない」タスクだったんです。
ログの統一、コードのリファクタリング、ツールのデコレータ適用。どれも「やった方がいい」ものではあります。でも、私の人生を1ミリも前に進めないタスクばかりでした。
さらに衝撃だったのは、一番時間をかけていた「ポイント活動の自動化」の期待値を初めて計算してみたときのことです。開発と保守に費やした時間を時給換算すると、得られるポイントの価値を大幅に下回っていました。
つまり、効率化のために作った仕組みそのものが、一番非効率だったということです。
「仕組みを整える」は、最高に気持ちいい逃避行動
なぜこんなことになるのか。
理由は単純で、「仕組みを整えること」が気持ちいいからです。
コードを書いて、自動化して、整理して、最適化する。この一連の流れには、達成感があります。目に見える成果物が生まれるし、「前より良くなった」という実感も得られる。
でも、この快感には罠があります。
本当に取り組むべきことって、たいてい面倒で、成果がすぐには見えなくて、心理的にハードルが高いんです。ブログの新しい記事を一から書くこと。アプリの新機能を設計すること。キャリアの方向性を真剣に考えること。
そういう「重たいタスク」から無意識に逃げるために、「軽くて気持ちいいタスク」に手を伸ばしてしまう。効率化という名の逃避行動です。
これは私だけの話ではないと思います。
「忙しいのに何も進んでいない」と感じたことがある人は、もしかすると同じ罠にはまっているかもしれません。やっていることの量は多いのに、本質的な進捗がゼロ。忙しさが、思考停止の免罪符になっている状態です。
月1万5,000円のプランを解約した瞬間
私はAIツールのプランを、月1万5,000円のものから安いプランに切り替えました。
正直、切り替えるときは少し不安でした。「使えるトークンが減ったら、開発スピードが落ちるんじゃないか」と。
でも実際に切り替えてみたら、何も変わりませんでした。
いや、正確に言うと、変わったことが一つだけありました。「トークンを消費すること」を意識しなくなったんです。
すると不思議なもので、パソコンに向かう時間が自然と減りました。その代わり、積読になっていた本を手に取る時間が増えた。散歩に出かける回数が増えた。ぼんやりと考え事をする余白が生まれた。
これが、本来「効率化」で手に入れたかったものだったはずです。
「何もしない時間」が一番生産的だった
最近、朝の散歩を習慣にしています。
イヤホンもスマホも持たず、ただ歩く。20分くらい、何も考えずに歩いているだけなのに、不思議とアイデアが浮かんできます。
あるとき、散歩中にふと「自分が本当にやりたいことって何だろう」と考えました。効率化でもなく、自動化でもなく、ポイント活動でもない。
答えは意外なほどシンプルでした。
「自分の経験や考えを、自分の言葉で発信したい」
これだけ。
ブログのPV数を追いかけるのでもなく、SEOを最適化するのでもなく、ただ自分が感じたことを書いて、それが誰かの心に引っかかればいい。そういうスタンスで書くことが、自分にとって一番自然な形だったんです。
考えてみれば、一番読まれた記事は、いつもテクニックではなく体験を書いたものでした。最適化された記事より、感情が込もった記事の方が人に届く。当たり前のことなのに、効率化の沼にいるとそれが見えなくなる。
効率化中毒のチェックリスト
自分の経験を振り返って、「効率化が目的になっているサイン」をまとめてみました。もし3つ以上当てはまるなら、少し立ち止まってみてもいいかもしれません。
- サブスクの「元を取ろう」として、必要のない作業を増やしている
- 動いているコードやシステムを、特に理由なく「改善」している
- TODOリストが減らないのに、新しいタスクを追加し続けている
- 「忙しい」と感じているのに、振り返ると何も前に進んでいない
- ツールやフレームワークの乗り換えを検討する時間が、実際の作業時間より長い
- 自動化した結果空いた時間で、次に自動化するものを探している
- 「もっと効率的にできるはず」が口癖になっている
私は全部当てはまっていました。見事なまでの効率化中毒です。
「やらないこと」を決める勇気
「イシューからはじめよ」を自分に当てはめて得た最大の教訓は、「何をやるか」より「何をやらないか」を決めることの方がはるかに難しいということです。
やることを決めるのは簡単です。可能性を感じるもの、やった方がいいもの、興味があるものをリストに並べるだけだから。
でも「やらない」と決めるには、覚悟が必要です。
「これに費やした時間は無駄だったかもしれない」と認める勇気。「この方向性は間違っていた」と軌道修正する潔さ。「もったいない」という感情を手放す冷静さ。
私の場合、まず手放したのは「検索エンジン最適化を極めてブログで稼ぐ」という計画でした。1年以上続けて月間PVが1,000程度。AIの台頭で検索そのものが減っている時代に、検索流入に依存する戦略を続ける合理性がない。
これを認めるのは、正直つらかったです。
でも、手放した瞬間に感じたのは喪失感ではなく、解放感でした。「PVを上げなきゃ」「SEOを改善しなきゃ」というプレッシャーから解放されて、純粋に「書きたいことを書く」という原点に戻れた気がしました。
効率の先にあるもの
効率化は悪いことではありません。むしろ素晴らしいスキルです。
ただ、効率化はあくまで手段であって、その先に「何のために時間を空けるのか」がないと、永遠に手段を磨き続けるだけの人生になってしまいます。
私が今思うのは、こんなことです。
完璧に最適化された日常より、少し余白のある日常の方が、実は豊かなのかもしれない。
散歩の途中で見つけた新しいカフェ。積読から手に取った一冊の本。犬と過ごすなんてことのない時間。パートナーと見る映画。
そういう「非効率な時間」にこそ、人生を前に進めるヒントが隠れている気がします。
月1万5,000円のプランを手放して、私が手に入れたのは「何もしない時間」でした。
そしてそれは、ここ数ヶ月で一番価値のある投資だったと思っています。
おわりに
もしこの記事を読んで「あ、自分もそうかも」と思った方がいたら、一つだけ提案させてください。
今日のTODOリストを開いて、一つひとつに「これをやらなかったら何が起きないか」と問いかけてみてください。
驚くほど多くのタスクが、実は「やらなくても何も起きない」ものだと気づくはずです。
そして、空いた時間で何もしないでみてください。散歩でも、読書でも、ただぼんやりするのでも構いません。
効率化で手に入れるべきものは、「もっとたくさんのタスクをこなす力」ではなく、「本当に大事なことに向き合う余白」だったのだと、きっと感じられると思います。
私もまだその途中です。効率化の誘惑は強いし、「何かしていないと不安」という気持ちは簡単には消えません。
でも少なくとも、「もっと効率よく」と思ったときに、一拍置いて「それ、本当に必要?」と自分に問いかけるクセはつきました。
それだけで、十分な一歩だと思っています。