普段は都内のIT企業で、しがないサラリーマンエンジニアをしています。
突然ですが、あなたも一度は夢見たことがありませんか?
「自分のアイデアで一発当てて、悠々自適の生活を…」
「個人開発したアプリがバズって、会社に辞表を叩きつけるんだ…!」
私もです。ええ、何を隠そう、そんな淡い夢を胸に抱いて、個人開発の世界に足を踏み入れた一人でした。ゆくゆくは稼げたらいいな、なんて甘い考えで。
結論から言います。個人開発、やってみたけど正直、勝てる気が全くしません。
これは、約半年、週末のほとんどを捧げてiOSアプリ開発に挑戦し、見事に砕け散った私の、リアルで、切実で、ちょっぴり情けない体験談です。
もしあなたが今、個人開発にキラキラした夢を抱いているなら、この記事は少しだけその夢を曇らせてしまうかもしれません。でも、同じように「勝てる気がしない…」と感じている仲間がいるなら、この記事が「心の友」になれたら嬉しいです。
AI時代到来!アプリ開発は「ちょろい」と思っていた

個人開発を始めようと思ったきっかけは、実に現代的でした。そう、AIの進化です。
「AIを使えば、コード一行書かなくてもアプリが作れるらしい」
そんな魔法のような言葉が、私の耳元でささやきました。実際に試してみると、本当に簡単なアプリならAIへの指示だけでサクッと作れてしまう。これはすごい時代になったぞ、と。
「これならイケる!アイデアさえあれば、私も印税生活だ!」
そんな風に本気で思っていたのです。数ヶ月前の自分を、正直ひっぱたいてやりたいですね。現実は、そんなに甘くありませんでした。
第一の壁:肝心の「良いアイデア」が全く湧いてこない
アプリをサクッと作れる技術は手に入りました。しかし、ここで根本的な問題にぶち当たります。
「で、何を作るの?」
これが本当に、全く思いつかないのです。
世の中には、星の数ほどのアプリがすでに存在します。Todoリスト、天気予報、SNS…。自分が「これ、あったら便利かも」と思うようなアイデアは、大抵誰かがもっとすごいクオリティで実現済み。
「近所の野良猫の出現位置をリアルタイムで共有するアプリとかどうだろう…」
「飲んだビールの銘柄だけを記録していく、超ニッチなSNSは…」
我ながら、くだらないアイデアばかりが浮かんでは消えていきます。仮にこれを作ったとして、誰が使うというのでしょうか。私くらいかもしれません。
結局、「多くの人が抱える、まだ解決されていない課題」なんて、凡人の私が簡単に見つけられるはずもなかったのです。ここで、最初の「あれ…?」を感じ始めました。
第二の壁:孤独と戦うモチベーション維持
会社での開発は、いわばチームスポーツです。
周りには仲間がいて、進捗を管理してくれるマネージャーがいて、何より「締め切り」という絶対的な強制力があります。サボっていたら、普通に怒られますからね。
しかし、個人開発は違います。そこは、誰の目もない、あまりにも自由な荒野でした。
平日は本業でクタクタ。週末、「さあ、開発するぞ!」と意気込んでPCを開くも、気づけばYouTubeで面白動画を観ていたり、Netflixの新着ドラマを一気見していたり…。
「まあ、明日やればいっか…」
その「明日」が永遠に来ないことを、私たちは知っています。誰も褒めてくれない。誰も急かしてくれない。自分を律する強い精神力がなければ、あっという間に時間は溶けていくのです。
追い打ちをかけるのが、SNSの存在。
Xを開けば、「#今日の積み上げ」タグでキラキラした報告が目に飛び込んできます。「新機能リリースしました!」「月間収益100万円達成!」そんな投稿を見るたびに、Netflixを見ていた自分との差に絶望し、静かにスマホを閉じるのでした。
第三の壁:リリースの絶望。荒野に響くは己の声のみ
それでも、なんとか一つのアプリを形にしました。本当に、ちっぽけな、自分でも「これいる?」と首を傾げるようなアプリでしたが、それでも我が子はかわいいものです。
Appleの厳しい審査を乗り越え、ついにApp Storeに公開された日の高揚感は、今でも忘れられません。
「さあ、世界よ、私のアプリを見ろ!」
しかし、世界は驚くほど私に無関心でした。
リリース初日。ダウンロード数は「数回」。内訳は、私、だれか。その後、アナリティクスのグラフが動くことはありませんでした。
毎日、何度もApp Store Connectを開いては、ダウンロード数が「0」であることを確認する作業。あれは、精神にきます。まるで、誰もいない荒野で「おーい!」と叫び続けているような、途方もない虚しさ。
さらに追い打ちをかけたのが、自分で自分のアプリを使ってみても、いまいち「しっくりこない」という事実でした。
「ここのボタン、何か押しにくいな…」
「思ったより、この機能使わないな…」
自分で考え、自分で作ったはずなのに、ユーザーとしての自分すら満足させられない。この現実は、私の心をへし折るのに十分すぎる威力を持っていました。
とどめの一撃:「勝てない」と悟らせた猛者たちの存在
心がささくれ立っていた私は、ある日、いわゆる「稼いでいる人」のアプリを片っ端からダウンロードしてみました。
その結果、私は完全に心を折られます。
レベルが、違いすぎる。
UI(見た目)は洗練されていて、操作していて気持ちがいい。
UX(使い心地)は細部まで計算され尽くしていて、全くストレスがない。
機能はシンプルながらも、ユーザーの「これが欲しかった!」を的確に捉えている。
自分のアプリが、まるで小学生の夏休みの工作のように見えました。ガタガタで、色もまばらで、何より「ユーザーのため」という視点が決定的に欠けていたのです。
さらに、そうした成功者たちのインタビュー記事やブログを読んで、とどめを刺されました。
「最初の1年間は、1日も休まず12時間開発に没頭しました」
「ユーザーからの問い合わせには、24時間365日、5分以内に返信していました」
「1,000個のアイデアを出して、そのうち100個のプロトタイプを作り、最終的に残ったのがこのアプリです」
…無理だ。
私には、そこまでの情熱も、時間も、才能もない。
彼らが積み上げた途方もない努力量を前にして、私はあっさりと白旗を上げました。同じ土俵にすら立てていない。勝てるとか勝てないとか、そういう次元の話ではなかったのです。
ここで私のモチベーションは、完全にゼロになりました。
「稼ぐ」という呪縛から解放されて見えたもの

燃え尽きて、PCを開くことすらしなくなった数週間後。ふと、ある考えが頭をよぎりました。
「そもそも、なぜ私は稼ごうとしていたんだっけ?」
個人開発を苦しいものにしていたのは、「稼ぎたい」「成功したい」という強すぎる思い込みだったのかもしれません。その呪縛から自分を解放してみることにしました。
収益化のコードを全部消して、ダウンロード数を気にするのもやめる。ただ、自分が本当に作りたいもの、自分が使って楽しいと思えるものを作ってみよう。
そう思うと、不思議と心が軽くなりました。
誰にも評価されなくてもいい。自分が楽しいと思えれば、それで十分じゃないか。技術的な好奇心を満たすため、新しいプログラミング言語の勉強のため。そんな「趣味」として個人開発を捉え直したとき、ようやく私は、純粋にコードを書く楽しさを取り戻せた気がします。
結論:サラリーマンエンジニアは、結構幸せなのかもしれない

そして、もう一つ大きな気づきがありました。
それは、会社でコードを書いている自分は、案外幸せなのかもしれない、ということです。
個人開発の孤独と絶望を味わったからこそ、サラリーマンエンジニアのありがたみが身に沁みました。
- 仲間がいる: 一緒に悩み、助け合えるチームがいる。
- 安定した給料: アプリが1本もダウンロードされなくても、毎月きちんとお金がもらえる。
- 挑戦できる環境: 会社の潤沢なリソースを使って、個人では触れないような大規模な開発や新しい技術に挑戦できる。
- 責任の分散: 何か問題が起きても、一人で全てを背負う必要はない。
もちろん、会社には会社なりのストレスがあります。しかし、全てを一人で背負う個人開発のプレッシャーに比べれば、それは何と恵まれた環境だったことか。
個人開発で成功して大金を稼ぐのは、本当に一握りの天才か、狂気的な努力ができる人だけです。そこに「勝とう」として挑みかかれば、私のような凡人は心をすり減らして終わるだけ。
だから、もしあなたが個人開発に疲れ果ててしまったなら、伝えたいです。
「勝てなくても、いいじゃないか」と。
個人開発に挑戦したという、その経験自体がとてつもなく貴重です。アイデアを形にする力、問題を一人で解決する力、マーケティングの視点。そこで得た学びは、必ず本業にも活きてきます。
勝つことを目指すのではなく、「楽しむ」こと、「学ぶ」ことを目的にしてみる。
技術的な探求の場として、自分のポートフォリオとして、あるいは最高の自己満足として。
それでいいのだと思います。
そして、もし疲れたら、堂々と休みましょう。私たちには、サラリーマンという立派な居場所があるのですから。